メモ
2013年 07月 19日
何度も語ることで、これが私である、と認識する。
というのはなんだか役者か自己暗示の部類に近いように思う。
アイデンティティというのはそうやって確立するという認識でいいのかな。
普通の場合、自分を分けるという行いをしないのかどうかが気になる。
普通というか、みんなそれぞれ違うのか。
ずっと言えなかったことを話して涙することによりラクになる。
という対話療法により中、高、大の私を同一として見られるようになった。
「あれは別の私だ」と暗示して毎度ゼロから表面上の私(口調・発言内容)を構築していたのである。
要は、仮面をかぶる感じです。
ここにおける同一、というのは表面上の私を構築している「私」がいる、ということである。
表面上の私こそ「私」である、と思い込んでいたため、ひも解けばカラッポである。と思っていた。
それはそうである。
何故なら、表面上の私というのは理論・合理的思考をする私だから。
それは誰でも身に着けることができるのだ。
というか、この文章を書いている私である。
この下に、感情と欲求をつかさどる「私」がいる。
ああ、小説を書いているせいか、である、た、のだ語尾が癖に...w
というのはなんだか役者か自己暗示の部類に近いように思う。
アイデンティティというのはそうやって確立するという認識でいいのかな。
普通の場合、自分を分けるという行いをしないのかどうかが気になる。
普通というか、みんなそれぞれ違うのか。
ずっと言えなかったことを話して涙することによりラクになる。
という対話療法により中、高、大の私を同一として見られるようになった。
「あれは別の私だ」と暗示して毎度ゼロから表面上の私(口調・発言内容)を構築していたのである。
要は、仮面をかぶる感じです。
ここにおける同一、というのは表面上の私を構築している「私」がいる、ということである。
表面上の私こそ「私」である、と思い込んでいたため、ひも解けばカラッポである。と思っていた。
それはそうである。
何故なら、表面上の私というのは理論・合理的思考をする私だから。
それは誰でも身に着けることができるのだ。
というか、この文章を書いている私である。
この下に、感情と欲求をつかさどる「私」がいる。
ああ、小説を書いているせいか、である、た、のだ語尾が癖に...w
by zephyr_w
| 2013-07-19 22:38
| 日常